鉄道
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110件が見つかりました。
年表
年度 | 一般的事項 | 市町村 | 当該事業に関する事項 | 事業 |
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明治4年 (1871) |
明治5年2月、鉄道略則公布 | |||
明治20年 (1887) |
5月、私設鉄道条例公布 | |||
明治22年 (1889) |
5月、香川県議会議員大久保_之丞が、讃岐鉄道開通式の挨拶の中で本四架橋を提唱(本州四国連絡橋公団三十年史743頁) | |||
明治23年 (1890) |
8月、軌道条例公布 | |||
明治25年 (1892) |
6月、鉄道敷設法公布 | |||
明治32年 (1899) |
明治33年3月、私設鉄道法及び鉄道営業法公布 | |||
明治38年 (1905) |
明治39年3月、鉄道国有法公布 | |||
明治43年 (1910) |
4月、軽便鉄道法公布 | |||
大正8年 (1919) |
4月、地方鉄道法公布 | |||
大正10年 (1921) |
4月、軌道法公布 | |||
大正11年 (1922) |
4月、改正鉄道敷設法公布 | |||
昭和13年 (1938) |
4月、陸上交通事業調整法公布 | |||
昭和14年 (1939) |
昭和15年2月、陸運統制令公布 | |||
昭和20年 (1945) |
6月、国鉄四国鉄道局発足 | |||
昭和20年 (1945) |
9月、鉄道復興5箇年計画策定 | |||
昭和22年 (1947) |
昭和23年1月、傾斜生産方式により国有鉄道の輸送業務が重点産業となる | |||
昭和23年 (1948) |
12月、日本国有鉄道法公布 | |||
昭和24年 (1949) |
6月、日本国有鉄道設立 | |||
昭和28年 (1953) |
8月、地方鉄道軌道整備法公布 | |||
昭和30年 (1955) |
5月、国鉄宇高連絡船紫雲丸事故、死者168人を出す(本州四国連絡橋公団三十年史743頁) | |||
昭和30年 (1955) |
7月、香川県議会が政府関係機関に対し「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を提出(本州四国連絡橋公団三十年史744頁) | |||
昭和31年 (1956) |
8月、国鉄第一次5箇年計画策定 | |||
昭和32年 (1957) |
10月、香川県が瀬戸大橋計画に着手、瀬戸大橋架橋運動を展開(本州四国連絡橋公団三十年史745頁) | |||
昭和34年 (1959) |
4月、建設省が本州四国架橋Aルート(明石・鳴門)、Cルート(日比・高松)、Dルート(児島・坂出)、Eルート(尾道・今治)の4ルートを対象に地質調査、経済調査を開始(本州四国連絡橋公団三十年史746頁) | |||
昭和34年 (1959) |
8月、瀬戸大橋架設推進香川県協議会が発足(本州四国連絡橋公団三十年史746頁) | |||
昭和35年 (1960) |
9月、国鉄第二次5箇年計画策定 | |||
昭和35年 (1960) |
10月、四国地方開発促進計画(第1次)の策定 | |||
昭和36年 (1961) |
4月、建設省がBルート(宇野・高松)を調査対象に採択。日本国有鉄道がBルート(宇野・直島・高松)、Cルート(宇野・大槌島・高松)、Dルート(下津井・坂出)を調査対象に採択(本州四国連絡橋公団三十年史747頁) | |||
昭和36年 (1961) |
8月、建設省と国鉄が、橋梁の技術上の諸問題に関する調査を土木学会に共同委託(本州四国連絡橋公団三十年史747頁) | |||
昭和36年 (1961) |
昭和37年3月、鉄道建設審議会が本四備讃線を予定線から調査線に格上げ承認((本州四国連絡橋公団三十年史747頁) | |||
昭和37年 (1962) |
10月、全国総合開発計画の策定 | |||
昭和39年 (1964) |
昭和40年2月、四国地方開発促進計画(第2次)の策定 | |||
昭和40年 (1965) |
5月、土木学会本州四国連絡橋技術調査委員会が第一次報告書を答申(本州四国連絡橋公団三十年史749頁) | |||
昭和40年 (1965) |
昭和41年1月、岡山県と香川県が瀬戸大橋架設推進本部を設置(本州四国連絡橋公団三十年史749頁) | |||
昭和40年 (1965) |
昭和41年3月、土木学会本州四国連絡橋技術調査委員会が中間報告を発表(本州四国連絡橋公団三十年史750頁) | |||
昭和42年 (1967) |
6月、土木学会長が建設省と鉄建公団に本州四国連絡橋技術調査報告書(最終)を提出(本州四国連絡橋公団三十年史750頁) | |||
昭和42年 (1967) |
昭和43年2月、建設省と運輸省が本州四国連絡橋の工費、工期の調査結果を発表(B、Cルートは工事が難しく、工費も高くつくため、ルートはA(明石・鳴門)、D(児島・坂出)、E(尾道~今治)の3ルートに絞られた(本州四国連絡橋公団三十年史751頁) | |||
昭和44年 (1969) |
5月、国鉄再建10箇年計画実施 | |||
昭和44年 (1969) |
5月、新全国総合開発計画の策定 | |||
昭和45年 (1970) |
7月、本州四国連絡橋公団発足(本州四国連絡橋公団三十年史754頁) | |||
昭和45年 (1970) |
昭和46年3月、建設、運輸両大臣が本四公団に対し、本州四国連絡橋の調査に係る工事実施計画を認可(本州四国連絡橋公団三十年史755頁) | |||
昭和47年 (1972) |
11月、本州四国連絡橋公団が本州四国連絡橋調査報告書を建設、運輸両大臣に提出(神戸・鳴門ルート及び児島・坂出ルートは道路鉄道併用橋、尾道・今治ルートは道路単独橋)(本州四国連絡橋公団三十年史756頁) | |||
昭和48年 (1973) |
10月、建設大臣及び運輸大臣が本四公団に対し工事実施計画を認可(3ルート)(本州四国連絡橋公団三十年史757頁) | 児島~坂出ルート(JR本四備讃線) | ||
昭和48年 (1973) |
11月、総需要抑制策の一環として本州四国連絡橋着工延期の指示(11月25日に予定されていた3ルートの起工式を延期)(本州四国連絡橋公団三十年史757頁) | 児島~坂出ルート(JR本四備讃線) | ||
昭和50年 (1975) |
8月、経済企画庁、建設省、国土庁の三省庁協議により、当面の建設方針決定(児島・坂出ルート及び大鳴門橋、大三島橋、因島大橋の「1ルート3橋」)(本州四国連絡橋公団三十年史759頁) | 児島~坂出ルート(JR本四備讃線) | ||
昭和52年 (1977) |
11月、第三次全国総合開発計画の策定 | 4月、本州四国連絡橋の当面早期完成を図る1ルートを児島・坂出ルートに内定(閣議了解)(本州四国連絡橋公団三十年史762頁) | ||
昭和53年 (1978) |
昭和54年3月、四国地方開発促進計画(第3次)の策定 | 5月、本四公団が本州四国連絡橋(児島~坂出ルート)環境影響評価書を公表(本州四国連絡橋公団三十年史764頁) | ||
昭和53年 (1978) |
10月、児島・坂出ルート起工式(本州四国連絡橋公団三十年史765頁) | 児島~坂出ルート(JR本四備讃線) | ||
昭和53年 (1978) |
坂出市 | 昭和54年1月、北備讃瀬戸大橋着工(瀬戸大橋工事誌563頁) | 南・北備讃瀬戸大橋(JR本四備讃線) | |
昭和53年 (1978) |
坂出市 | 昭和54年1月、南備讃瀬戸大橋着工(瀬戸大橋工事誌564頁) | 南・北備讃瀬戸大橋(JR本四備讃線) |
資料
1.四鉄史編集委員会編「四鉄史」(1989年)
2.交通新聞社編「JR四国20年のあゆみ」(2007年)
3.運輸省50年史編纂室編「運輸省五十年史」(1999年)
4.本州四国連絡橋史編さん委員会編「本州四国連絡橋公団三十年史」(2000年)
5.本州四国連絡橋公団編「瀬戸大橋工事誌」(1988年)
6.香川県編「香川県史第七巻 通史編現代」(1989年)
2.交通新聞社編「JR四国20年のあゆみ」(2007年)
3.運輸省50年史編纂室編「運輸省五十年史」(1999年)
4.本州四国連絡橋史編さん委員会編「本州四国連絡橋公団三十年史」(2000年)
5.本州四国連絡橋公団編「瀬戸大橋工事誌」(1988年)
6.香川県編「香川県史第七巻 通史編現代」(1989年)