四国社会資本アーカイブス

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四国新道(国道33号)

No. 愛媛139
県名 愛媛県
市町村 松山市、砥部町、久万高原町
事業化(着工) 明治19年4月着工
竣工 明治25年8月
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地理院地図
概要 明治17年に大久保諶之丞が四国新道を提唱した時、高知県と愛媛県をつなぐ予土横断道路の開削計画も練られていた。この予土横断道路に丸亀・多度津~高知ルートを加えて、明治18年に愛媛県、高知県、徳島県の3県(香川県の分離独立は明治21年12月)で四国新道開削計画が内務省に提出された。明治19年4月、四国新道の起工式が琴平宮で行われ、明治20年9月に三坂峠の開削が完成した。四国新道のうち愛媛県分の工事は明治25年8月に落出橋の渡船場の完成を期して竣工し、三坂峠で完工式が行われた。
情報源 久万町誌編集委員会編「久万町誌 増補改訂版」(久万町、1989年)、114-121頁
久万町誌編集委員会編「久万町誌」(久万町、1968年)、113-120頁
中川鬼子太郎編「面河村誌」(面河村、1980年)、222-223頁
愛媛県史編さん委員会編「愛媛県史 県政」(愛媛県、1988年)、129-133頁
愛媛県史編さん委員会編「愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)」(愛媛県、1983年)、601頁
情報源の種類 市町村史、郷土史、土木史
キーワード 四国新道 予土横断道路 三坂峠
関連情報 三坂峠付近に三坂峠の開削に尽力した檜垣翁碑が、明神の桧垣桜公園には檜垣伸翁の顕彰碑が建立されている。
参考画像
原資料PDF 「愛媛069 久万町誌増補改訂版.pdf」を表示する
「愛媛068 久万町誌.pdf」を表示する
「愛媛070 面河村誌.pdf」を表示する
「愛媛010 愛媛県史 県政.pdf」を表示する
「愛媛016 愛媛県史 地誌総論.pdf」を表示する

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