四国社会資本アーカイブス

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ため池

ため池

90件が見つかりました。

年表
年度 一般的事項 市町村 当該事業に関する事項 事業
明治2年
(1869)
まんのう町 6月、高松藩執政松崎渋右衛門が長谷川佐太郎と満濃池視察、底樋を石穴の掘り抜きに決定(満濃池史118頁、497頁) 明治3年の満濃池の改修
明治2年
(1869)
まんのう町 9月、高松藩と丸亀藩が石穴掘削工事に着手(満濃池史119頁、497頁) 明治3年の満濃池の改修
明治2年
(1869)
まんのう町 明治3年2月、高松藩と丸亀藩が築堤工事に着手(満濃池史123頁、497頁)
明治2年
(1869)
まんのう町 明治3年3月、石穴底樋貫通(満濃池史123頁、497頁)
明治3年
(1870)
まんのう町 6月、満濃池の築堤完成(嘉永7年(1854)の破堤から16年目に復旧)(満濃池史123頁、497頁) 明治3年の満濃池の改修
明治12年
(1879)
まんのう町 満濃池水利土工会設立(満濃池史130頁、498頁)
明治23年
(1890)
6月、水利組合条例公布
明治25年
(1892)
まんのう町 5月、満濃池水利土工会が満濃池普通水利組合に組織変更(満濃池史131頁、498頁)
明治27年
(1894)
まんのう町 大干ばつ(満濃池史138頁)
明治31年
(1898)
明治32年3月、耕地整理法公布
明治36年
(1903)
まんのう町 7月下旬から9月初旬まで39日の連続干天(満濃池史138頁)
明治37年
(1904)
明治38年2月、耕地整理法改正(かんがい排水事業を目的に追加) まんのう町 7月中旬から8月中旬まで35日間降雨なし(満濃池史138頁)
明治38年
(1905)
まんのう町 満濃池普通水利組合が満濃池第一次嵩上げ事業を着工(満濃池史138頁、498頁) 満濃池の第一次嵩上げ
明治38年
(1905)
まんのう町 明治39年1月、満濃池第一次嵩上げ事業完成(堤防3尺嵩上げ、貯水量83万2,000㎥増加、総貯水量667万8,000㎥となる)(満濃池史138頁、498頁) 満濃池の第一次嵩上げ
明治41年
(1908)
4月、水利組合法公布
明治42年
(1909)
4月、耕地整理法改正(耕地整理組合を法人化)
大正2年
(1913)
まんのう町 干ばつ(満濃池史142頁)
大正3年
(1914)
まんのう町 干ばつ(満濃池史142頁)
大正3年
(1914)
まんのう町 9月、取水塔着工(満濃池史140頁) 満濃池の配水塔建設
大正3年
(1914)
まんのう町 11月、取水塔竣工(満濃池史140頁) 満濃池の配水塔建設
大正6年
(1917)
まんのう町 干ばつ(満濃池史142頁)
大正10年
(1921)
まんのう町 大正11年3月、満濃池が官有から満濃池普通水利組合有に無償譲渡(満濃町史558-559頁)
大正11年
(1922)
まんのう町 藤兵衛股の水利紛争起こる(新修満濃町誌515頁)
大正12年
(1923)
4月、用排水改良事業補助要項の制定
大正13年
(1924)
まんのう町 干ばつ(満濃池史142頁)
昭和2年
(1927)
まんのう町 10月、満濃池の第二次嵩上げ事業(県営満濃池用排水改良事業)着工(満濃池史166-167頁) 満濃池の第二次嵩上げ
昭和3年
(1928)
まんのう町 10月、香川県と満濃池普通水利組合が財田川沿岸の町村長、水利組合との間で財田川分水協定について調印(満濃池史153-157頁)
昭和5年
(1930)
まんのう町 9月、財田川分水塩入隧道竣工(香川県の近代化遺産72頁)
昭和5年
(1930)
まんのう町 12月、満濃池の第二次嵩上げ事業(県営満濃池用排水改良事業)完成(堤防5尺嵩上げ、貯水量150万㎥増加、総貯水量780万㎥となる)(満濃池史167頁) 満濃池の第二次嵩上げ
昭和9年
(1934)
まんのう町 7月27日から8月末まで連続干天(満濃池史179-180頁)
昭和14年
(1939)
まんのう町 6月30日から9月9日までの72日間に雨量36ミリの大干ばつ(満濃池史176頁)
昭和15年
(1940)
まんのう町 満濃池の第三次嵩上げ事業(県営土器川沿岸用水改良事業、後に県営満濃池用水改良事業)着手(満濃池史182頁) 満濃池の第三次嵩上げ
昭和19年
(1944)
まんのう町 7月、政府の決戦非常措置により、県営土器川沿岸用水改良事業が中断(満濃池史184頁)
昭和23年
(1948)
まんのう町 10月、満濃池の嵩上げに関し、満濃池側が塩野池貯水池計画を廃止し、天川導水計画を提示するが、土器川右岸側の同意得られず(満濃池史188頁)
昭和24年
(1949)
4月、土地改良法公布
昭和25年
(1950)
まんのう町 満濃池の第三次嵩上げ堤防工事が本格化(満濃池史194頁)
昭和25年
(1950)
まんのう町 昭和26年2月、満濃池普通水利組合が満濃池土地改良区に組織変更(満濃池史194-195頁、261頁、498頁)
昭和26年
(1951)
まんのう町 6月、塩野池貯水池中止に替えて、備中地池・仁池新池の新設、亀越池嵩上げ、仁池導水路の改修による用水改良計画が土器川右岸側から了承され、県営土器川右岸用水改良事業として採択(満濃池史191頁)
昭和27年
(1952)
まんのう町 県は土器川左岸満濃池側の事業を県営満濃池用水改良事業、右岸側の事業を県営土器川右岸用水改良事業として実施(満濃池史191頁) 満濃池の第三次嵩上げ
昭和28年
(1953)
まんのう町 4月、県営金倉川沿岸用水改良事業の事業採択(満濃池史248-253頁、498頁) 県営金倉川沿岸用水改良事業
昭和28年
(1953)
琴平町 4月、県営金倉川沿岸用水改良事業の事業採択(満濃池史248-253頁、498頁) 県営金倉川沿岸用水改良事業
昭和28年
(1953)
善通寺市 4月、県営金倉川沿岸用水改良事業の事業採択(満濃池史248-253頁、498頁) 県営金倉川沿岸用水改良事業
昭和28年
(1953)
丸亀市 4月、県営金倉川沿岸用水改良事業の事業採択(満濃池史248-253頁、498頁) 県営金倉川沿岸用水改良事業
昭和28年
(1953)
多度津町 4月、県営金倉川沿岸用水改良事業の事業採択(満濃池史248-253頁、498頁) 県営金倉川沿岸用水改良事業
昭和28年
(1953)
5月、土器川右岸土地改良区成立(新修満濃町誌515頁)
昭和30年
(1955)
まんのう町 8月、大干ばつのため、札の辻水利紛争起こる(満濃池史196頁)
昭和30年
(1955)
まんのう町 10月、新取水塔の着工(満濃池史195-197頁) 満濃池の第三次嵩上げに伴う新取水塔の建設
昭和30年
(1955)
まんのう町 12月、新取水塔の完成(満濃池史197-203頁) 満濃池の第三次嵩上げに伴う新取水塔の建設
昭和32年
(1957)
まんのう町 昭和33年2月、大川頭首工完成(新修満濃町誌515頁)
昭和32年
(1957)
まんのう町 満濃池の嵩上げに伴う水没地の用地買収補償が完了(満濃池史204-209頁)

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資料

1.ワーク・アイ編「満濃池史-満濃池土地改良区五十周年記念誌-」(満濃池土地改良区、2001年)
2.讃岐のため池誌編さん委員会編「讃岐のため池誌」(香川県農林水産部土地改良課、2000年)
3.香川県編「香川県史 第七巻 通史編 現代」(香川県、1989年)
4.香川県教育委員会編「香川県の近代化遺産」(香川県教育委員会、1995年)
5.満濃町史編集委員会編「満濃町史」(満濃町、1975年)
6.満濃町誌編さん委員会編「新修満濃町誌」(満濃町、2005年)