四国社会資本アーカイブス

当サイトは四国で暮らす人々の生活を支える社会資本に関する情報を編纂したものです。

石碑リスト

石碑リスト

Stone monument

四国社会資本の石碑リストとは

 四国各地では河川、道路、鉄道、港湾、空港、電力、市街地開発、用水、ため池などさまざまな分野で社会資本整備が行われてきました。私たちの生活は、先人が長年にわたって築いてくれた土台の上に成り立っています。これらの社会資本に関わる碑が各地に残されており、碑には、後世の人々に向けた先人の思いが込められています。
 四国の社会資本に関する石碑の存在をご周知するため、石碑等に関係する社会資本整備の概要と石碑等の写真などの基本的な情報を示す石碑リストを作成しました。
 リストに掲載した石碑等の件数は、徳島県23件、香川県34件、愛媛県39件、高知県28件の合計124件です。もう少し詳しく調べたい場合は、石碑リストから社会資本アーカイブスのページへ移動できます。

博士

石碑リスト

「四国社会資本アーカイブス」石碑リスト.pdf »
石碑等リストの件数は以下のとおりです。
徳島 香川 愛媛 高知 合 計
河川 10 1 9 13 33
道路 6 8 10 4 28
鉄道 3 2 3 7 15
港湾・空港 1 2 2 1 6
電力 1 1
市街地開発 2 6 8
ため池 12 9 21
用水 3 7 10
公園 0
治山施設 2 2
流域下水道 0
合計 23 34 39 28 124

社会資本の石碑リスト(一例)

徳島県の石碑リスト
No. 石碑の写真 石碑の名称 県名 市町村名 社会資本
の種類
石碑に関する社会資本整備の概要 四国社会資本
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徳島1 吉野川改修記念碑 吉野川改修記念碑 徳島県 吉野川市 河川 ■吉野川第一期改修工事(吉野川水系)
 吉野川第一期改修工事は、左岸林町岩津及び右岸川田町から海に至る約40kmの区間について、岩津地点における計画高水流量を13,900㎥/sとした計画で、明治40年に着手し、大正10年に至る15箇年継続事業として行われた。善入寺島の買収などの問題もあり、起工式は明治44年9月となった。大正8年4月には上流の無堤部に対する堤防の新設及び右岸支川川田川改修を計画に追加して、4年間の工期延長を行った。関東大震災に伴う経費節減の余波を受け、大正15年竣工の予定が遅れて、昭和2年に完成した。
 吉野川市山瀬に吉野川改修記念碑が建立されている。
河川徳島2
徳島2 移転の碑 移転の碑 徳島県 吉野川市 河川 ■善入寺島の遊水地化(吉野川水系)
 善入寺島は東西約6km、南北約1.2km、面積約500haに及ぶ吉野川最大の川中島で、大正初期には約500戸、3,000人が住んでいた。善入寺島は吉野川第一期改修工事で遊水地化されることになったが、明治42年に内務省が全島買収の方針を示すと、島民は計画変更するよう陳情した。しかし、内務省の方針は動かし得ず、明治45年には大部分が指定価格での買収に調印し、大正3年までに100余戸が立ち退き、大正4年には残り400戸に対して強制退去命令が出された。善入寺島の掘削工事は昭和2年1月に完了した。
 吉野川市城山に移転の碑が建立されている。
河川徳島4
■善入寺島の遊水池化(吉野川水系)
 善入寺島は現在の川島町、市場町にまたがる吉野川最大の川中島であり、東西約6km、南北1.2km、面積は約500haに及ぶ。明治40年当時は約500戸、約3,000人が住んでいたが、この島が狭窄部となっていたため、吉野川第一期改修事業の中で全島を遊水地化することが計画された。立ち退きを伴う全島買収は容易ではなく、明治45年の買収着手とともに反対運動が展開されたが、大正4年までに立ち退きは終了し、島民は新天地を求めて立ち去った。この事業は、吉野川改修史の中で特筆すべき大規模移転であった。
 吉野川市城山に移転の碑が建立されている。
河川徳島151
徳島3 川島排水機場の治水拓運碑 川島排水機場の治水拓運碑 徳島県 吉野川市 河川 ■川島排水機場(吉野川水系)
 川島排水機場は桑村川の内水排除を目的として、昭和39年度に建設された排水能力12㎥/sの機場で、四国地建で最初の排水機場である。ポンプ仕様は、口径1,600mmの横軸斜流ポンプで、6㎥/s(全揚程3.3m時)の排水能力を持つポンプ2台である。設備完成後は、昭和53年度に除塵設備を手がきスクリーンから定置式自動除塵機に改良し、昭和62年度には揚排水ポンプ設備技術基準(案)に適合させるため、設備の更新等を行った。
 川島排水機場前に治水拓運碑が建立されている。
河川徳島28